rugtaku’s diary

日々のニュースで疑問に感じたことを取り上げる

孤軍奮闘

 米国の金利、0.75%上げに続いて、英国やスイスでも金利が上がる。欧米のインフレに対する恐怖とも思える懸念は、軒並み金利を上げる方向に進んでいる。日本はその波に乗れない。金利を上げることでGDPの2倍を越える赤字国債を抱えるがゆえに、それが重荷と化して日本だけが利上げに動けない。できれば円安に加勢が欲しかったが、日本以外のほとんどの国は残念ながら金利を上げる方向にある。日本だけが、その現実を受け入れようとはしていない、その構図を日本政府や日本銀行は認めがたいのかもしれない。世界の趨勢がインフレ退治を目標に金利を引き上げようとしている風潮を受け入れず、為替に関しては劣勢の戦いを強いられる。

 

 為替相場における孤軍奮闘は、まったく報われないだけでなく、ドルを主軸とする外貨準備高を急速に減少させるだけである。残念ながら、日本政府の為替相場介入は日本を貧困化させるだけである。国際社会の実情を理解しようとせず、日本にとって都合の良い筋書きを夢想しても、そのようにことは進まない。

 

 現実を直視せず、経済政策の修正を行わなければ、日本国民はますます貧しくなる。経済格差の拡大を抑制して、中流層を拡大していかなければ、日本経済は浮揚しない。日本経済を受容させるカギは、ベーシック・インカムの導入による総需要の拡大を行うことができるかどうかにかかっている。

20世紀の終焉

 ソ連の元大統領ゴルバチョフが91歳で亡くなった。ペレストロイカソ連の改革を断行したものの、崩壊を食い止めることはできなかった。しかし、1989年米国ブッシュ大統領マルタ島で会談、冷戦終結を宣言して、翌年1990年にノーベル平和賞を受賞した。東西冷戦を終わらせた人として、その時点でニュースを受け止めた同時代人にとっては、一世を風靡した巨人として記憶されることになった。ロシア国内では。ソ連邦終焉の段階で、混乱を巻き起こしたこともあり,人気はあまりなかったものの、ゴルバチョフの名前は私には忘れないものとなった。

 

 そうう意味では、京セラを大企業に育て上げた稲森和夫氏の死去の報道もショックであった。20世紀を引っ張ってきた人が相次いで亡くなった。これは20世紀に育った私たちにとっては、一つの時代の終焉を伝えるものとなった。

 

 時代を凌駕した人々が歴史の舞台から姿を消していくのは寂しい限りであるが、それはいやおうなく新しい時代を迎える準備を急げというシグナルかもしれない。変化に対応する順応性を問われるかのように、日々新たな情報が流れる。それは当然であろう。生あるものが永遠の命を有していないのと同様に、時を刻むエネルギーもなくなりはしない。それを自然の摂理として黙って受容することがもとめられているのであろう。

 

 2022年9月1日。すでに21世紀もいつのまにか22年目に入っているのである。平和を刻んできたはずの世界だが、ロシアのウクライナ侵攻という思いがけない(?)蛮行があり、しかも核兵器使用が取りざたされたり原子力発電所占拠による人類の危機が再び注目を集め始めた。というよりも、それに耳目を集めることで人類の危機を再燃させる機会をもたらした。いまだに核兵器は人類にとり、大いなるリスクであり、駆け引きの材料として存在していることを思い起こさせてくれた。

 

 その意味において、ロシアのウクライナ侵攻が早期の解決を困難にしている。NATO諸国がウクライナを支援すればするほど、ロシアはより強硬路線を取り、早期解決を困難にしていくのである。ロシアにとっては、緩衝地帯をしっかり維持することが、最大の安全なのである。ロシアのプーチンの思考を理解しようとしない限り、現在の国際社会が抱える課題を解決しえないのではなかろうか?

 

 

 

 

 

安倍晋三元首相の死は自民党がとことん利用する。

 安倍晋三元首相は、民主主義の殉教者のような扱いを受けて、国葬が行われる予定だが、その実犯行の動機は、母親が新興宗教に注ぎ込んだ献金に対する不満であり、家族の崩壊原因を作った要因に対する私怨であったことが判明している。しかし、当初報道されたような民主主義に対する暴力行動というイメージが定着してしまった。それを有効に利用すべく、自民党総裁岸田首相は国葬を執り行うことを決めた。とことん、安倍晋三元首相を政治的に利用するということらしい。

 

 民主主義の殉教者であれば、非難の的にはなりづらい。悲劇の英雄として祭り上げることすらできる。実効がほとんど上がらなかった(失業率が下がり、株価はあがったが、賃金は上がらなかったし、経済が活性化されることもなかった)アベノミクスを牽引した行政責任者であった。アメリカ追随外交により、対中国や対ロシアでも大きな溝を生まなかったことは鉱石であったかもしれないが、森友学園問題では疑惑を実証するどころか、もみ消した疑いが高かった。統一教会との関係も今回の狙撃事件解明が進むにつれて、明らかになってきた。

 

 統一教団幹部を狙うことをあきらめた山上容疑者が、教団と深い関係にあると認識した安倍晋三元首相を狙撃した事実をどう考えるか。これは単なる私怨ではないか。たまたま選挙応援演説の最中に行われただけで、民主主義に対する冒涜とは考えづらい。

 

 それを民主主義に対する挑戦のようにとらえてしまうと、まるで違った構図になってしまう。自民党関係者にとっては、民主主義に対する挑戦とするほうが都合が良いのであろうが、そのように国民に認識させようと仕向ける行為自体が民主主義に対する冒とくではないのか。

 

 与党自民党の思惑に乗せられる野党各党も情けない話ではある。参議院議員選挙投票日直前に起きた狙撃事件は、日本の民主主義(?)の一大転機となる出来事になるかもしれない。いや民主主義が日本に根付いてはいなかったことを示すものであったのかもしれない。日本国民としては、そう理解すべきなのかもしれない。

防衛費はいつから2倍の主張が増えたのか?

 いつの間にか、規定路線のようになっている防衛予算の2倍化が当たり前のように伝わってくる。どこにそんな財源はあるのだろうか、ロシアのウクライナ侵攻以降、安全保障に対する意識は高まっているのは事実だろうが、そんな国民の意識に付け込んで、防衛予算をこの時とばかりに増額することを主張するのはいかがなものであろうか。

 

 政治の役割は、限られた予算をどのように優先順位をつけて、配分するべきか決定することにある。それこそ、政党がどこに重点をおいて予算配分をするのか主張して、それを国民がそれぞれの価値観に基づいてどの政党を支持するかを決めるのが政治ではないだろうか。歳入が無尽蔵に増え続けるのであれば問題はないが、税収が思うように増えず、歳出を限りなく制限せざるを得ないのであれば、必然的に予算配分の優先順位を決定しながら、予算の作成が行われるべきであり、世論の支持を最低限取り付けるべきである。選挙が行われる際には、その争点は、予算作成において重点項目ををどうするべきかを問う場にすべきではないか。

 

 それが我が国の選挙の場合、具体的な論争を避けるかのように、漠然とした議論に終始する場合が多い。論理的に具体的な数字を思い浮かべて各党の主張を考慮できるような選挙公約はほとんど聞いたことがない。残念ながら、それでは消極的な選択、つまりまだこちらのほうが現実的かという視点で投票行動が行われることになる。民主党政権が国民の期待を大きく裏切り、国民の政治に対する関心は希薄なものになってしまったが、それが自民党を支える力となっているのは否めない。

 

 そういう意味で。昨日起きた安倍晋三元首相に対するテロ行為は、民主主義に対するあり得ない暴力行為として煽情的な報道がおこなわれたことは残念でしかない。確かに暴力に訴える行為が許されるはずはない。しかしながら、犯行動機を精査したうえで、民主主義に対する挑戦かどうかを見きわめる手順が欲しい。あれでは犠牲者となった安倍晋三元首相が属する自民党に対する同情票を増やすだけではないか。

 

 投票日直前の事件として、与党自民党を利するような、TV各局の報道姿勢はいかがなものであろうか。中立報道を旨とするマスコミだからこそ、時局の報道姿勢を確認しながら番組編成を行いべきではなかったか。たしかに選挙の応援演説に入った安倍晋三元首相を狙撃したことで、選挙戦終盤の「民主主義に対する挑戦のような行動」という形で受け止められたようではあるが、犯人の犯行動機に対しては、これから検証されるのであり、その検証結果次第で民主主義に対する挑戦というよりは、単なる怨恨的な犯罪であったのかもしれない。にもかかわらず、あたかも民主主義に対する暴力的挑戦であり、安倍晋三元首相は尊い犠牲者として注目を浴びることになった。野党党首たちも選挙戦中のテロ勃発であり、犠牲者である安倍能登首相を悼む哀悼の言葉が始終画面を占領し続けた。こうなると、与党自民党を擁護するマスコミという印象が強くなってしまった。

 

 できうるならば、現在の大幅な金融緩和を続けることによって、日米の金利差や欧米との金利差から円安が進行し、原材料高にプラスして円安による諸物価高騰を抑制することが日本には必要である。その経済政策の実行力で、あまり期待できない与党自民党に鉄槌は与えられないまでも、少なくとも緊張感をもって国民の世論を尊重しながら国民の家計を安定させるような政策運営を可能とするような、政治状況を作り出す選挙結果を期待するのである。

 

 電力料金も、食料品も昨年比で1.2倍を超える値上げが続いている。その傾向を鎮静化する政策はまだ出てきていない。そして置いてけぼりを食っているのは、日本の貧困層なのである。政治家は与党議員だけでなく野党議員もまた危機感が切迫していないのではないか。困窮する庶民の増加を切実な問題として、解決に向けて努力していこうという国会議員が少ない状況を憂うるばかりである。

参議院議員選挙まで、あと6日

 現状は原材料高による諸物価高騰、さらに輪をかけるように円安による家計費の圧迫に日本国民は悲鳴を上げている。にもかかわらず、何ら実効的な対策ができない自民党。その自民党支持率が下がらない世論調査結果は果たして何を意味しているのだろうか。たとえば、野党が消費税減税を選挙の争点にしようとすれば、自民党社会保障費の財源が減るとのたまう。それにもかかわらず、防衛費の2倍増額を訴えてはばからない。しかし財源を明確にすることもなく、ロシアのウクライナ侵攻をたてに、日本国民のために必要であると主張する。社会保障費や教育費としての財源も十分確保できていないのが現実である。その一方で、どれほど防衛効果があるのかもわからない装備拡充の歳出を増加させる。そんな無茶苦茶な優先順位にすること自体が、何とも国民を馬鹿にした行いではないだろうか?

 

 直近においても、APPLE製品の大幅な値上げ報道がなされたところである。それよりも何よりも、原油価格が下がらないが故に、流通コストの上昇が続き、値上げ圧力となり、エネルギー資源の価格上昇で電力料金の値上がりが進む。そのうえに、円安傾向が加速する。20%以上も円が下がってしまえば、価格はそれだけで1.2倍以上になってしまう。その負担はほとんど消費者に向かわざるを得ない。いまや日本の企業も、コスト上昇を価格に転嫁しなければ利益が出てこない状況になりつつある。食料品の多くも、原材料の高騰に合わせて円安の影響により値上げ傾向が収まらない。

 

 これらの物価高騰に対する責任は、行政にあることは明白である。それにもかかわらず、与党にその批判が集中しないのは、政治に対する不信感が国民全体に根強いためではないだろうか。だらしない野党にも責任の一端はある。これだけ日本国民を置き去りにした空虚な論争しか起きない何とも不可思議で情けない状況が日本を覆っている。政権選択選挙などはとうてい望めないのであるならば、少なくとも最低限度の文化的生活をすべての国民が享受できるようなセーフティネットをはりめぐらせるように訴えるべきである。

 

ビッグデーターの脅威

 少し調べておかないと、そんな軽い気持ちでパソコンやスマホで検索すると、その後の画面にはその検索情報に関連した広告が次々と登場してくる。たとえば鎌倉ゆかりの花を調べると、ご丁寧にそれが見ごろの時期や、旅行する気がなくても宿泊先の案内が出てくる。至れり尽くせりといえば聞こえは良いが、私自身よりも私のことを理解しているものがあることに少なからず違和感を感じざるを得ない。検索後は、間違いなく機器は進化している。そう考えておいて間違いないのだろう。

 

 そういえば、いまやテレビのニュース番組のほとんどが、報道順位をAIによって決めている。日々のニュース報道の反応を分析していれば、どのニュースが人々の関心度が高いか、下手に人間が判断するよりは、AIのほうが正確に判断するのだろう。データー分析による予測は、もはやAIにまかせるべきなのかもしれない。病気の判断も血液検査の結果やCT検査、MRI検査などを照合して医者が決めるのだろうが、症例が集まれば、AIの判断がより正確であろう。

 

 一方で、個人情報に対する意識が高まっているように見えるが、実際はますますデジタル機器の使用が高まる中で、どんどん個人情報が収集されていると考えられるので、AIに人生の進路をゆだねるようになるかもしれない。しかも検索機能をフル活動すればするほど、より自分仕様の情報に自分の行動を制限されるようになっているようだ。プライバシー保護を謳う中で、せめぎあう便利さと情報流出の対比が耐えず問われる。自分好みの意見を述べるサイトを見つけ出すことは、その一方でそれとは逆の意見をシャットダウンする形になってしまう。それは正解に近付いていると信じていた行動が、実はどんどん対極のフェイクにはまっていくという危険性をはらんでいくということでもある。

 

 考えれば考えるほど、なんとも悩ましい現実であるが、便利さを許容すればするほど、事実として認識していたことが、実際はあまりに不透明な結果しかもたらさないことに気づく。それは私自身の判断力に対する他者の信用度も低下させることになる。自信をもって判断してきたことが、揺らぎの中で迷いをもってしまうのである。自己決断力も弱めてしまい、他者への影響力もどんどん薄れていく。何とかしなければという焦燥感は忘却の中に放置され、そして互いの存在感を遠ざけていく。

 

 これが近未来に私たちに突き付けられる現実なのかもしれない。人間としての尊厳を失うことなく、AIの判断力に伍していく。そんな気概をいつまで持ち続けられるであろうか。

何もしないことが支持率を上げる?

 ロシアのウクライナ侵攻にともない、日本政府は欧米諸国とともにロシアの制裁強化を推し進めているが、それ以外に岸田内閣がおこなった目立った政策はほかにない。それでも内閣支持率はこの3か月間で上昇傾向にあり、とうとう5月の朝日新聞社の調査では59%に達し、岸田内閣になってから最高を記録した。また参議院選挙の比例区投票先としては、自民党が42%となり、日本維新の会の11%および立憲民主党の10%を大きくリードした。

 

 年代別では18歳~29歳で自民党支持率が56%と高く、無党派層の中でも自民党に投票すると人が23%に達した。維新の会と立憲民主党を見ても、年代別では30代で維新22%、立憲民主党5%と維新支持率が高く、70歳以上で維新の会8%、立憲民主党14%でようやく逆転する。東京では維新9%に対し、立憲民主党13%となるが、大阪では維新35%、立憲民主党3%と地域による支持率の違いもある。今夏に行われる参議院選挙で、「与党が議席を増やしたほうが良いと思うか」と尋ねたところ、「今とあまり変わらないほうが良い」が40%、「与党の議席が増えたほうが良い」が20%もあり、「野党が議席を伸ばすほうが良い」は32%であった。つまり与野党逆転による政権交代を期待していないという調査結果となった。

 

 連日報道されるウクライナの惨状に、武力侵略に対する憤りとともに、政権に対して安定感を求める国民の意思が反映されているようである。憲法改正に対する調査でも、集団的自衛権を9条に明記しようという声は小さかったものの、強い国家権力(時には政治権力による国民の自由の制限も許される)を望む声が見られたように、国家権力による安全保障を望む声が強くなっているのが気にかかる。

 

 私的な意見で申し訳ないが、国民の命を守る防衛という意味ではそれでも良いのかもしれないが、日常生活を送るうえで、ガソリンや水道光熱費が上がり続ける一方(ガソリンは政府の補助金で値上がりが止まったのも大きかったのかもしれない)、食料品の値上がりは続いており、日本の金融政策により、円安による値上がりも止まらない状況が忘れ去られているのではないか。それよりもなによりも、岸田内閣はコロナ禍においてダメージを受けた日本経済を立て直すために何ら具体的な政策提言が出てきていないのである。雀の涙のような補助金がばらまかれるだけである。

 

 日本経済再生のためのシナリオを作るような努力もしているわけではない。それでも支持率が上がるのは、野党が頼りないからであろう。国民の政治に対する信頼感が薄れている現状を明確に物語っているのが今回の世論調査の結果であろう。国民が政治に関心を持ち政策に意見を反映させるようにしていかなければ、ますます国民の感覚と政治権力を有している人々の感覚はずれを生じるであろう。