rugtaku’s diary

日々のニュースで疑問に感じたことを取り上げる

20世紀の終焉

 ソ連の元大統領ゴルバチョフが91歳で亡くなった。ペレストロイカソ連の改革を断行したものの、崩壊を食い止めることはできなかった。しかし、1989年米国ブッシュ大統領マルタ島で会談、冷戦終結を宣言して、翌年1990年にノーベル平和賞を受賞した。東西冷戦を終わらせた人として、その時点でニュースを受け止めた同時代人にとっては、一世を風靡した巨人として記憶されることになった。ロシア国内では。ソ連邦終焉の段階で、混乱を巻き起こしたこともあり,人気はあまりなかったものの、ゴルバチョフの名前は私には忘れないものとなった。

 

 そうう意味では、京セラを大企業に育て上げた稲森和夫氏の死去の報道もショックであった。20世紀を引っ張ってきた人が相次いで亡くなった。これは20世紀に育った私たちにとっては、一つの時代の終焉を伝えるものとなった。

 

 時代を凌駕した人々が歴史の舞台から姿を消していくのは寂しい限りであるが、それはいやおうなく新しい時代を迎える準備を急げというシグナルかもしれない。変化に対応する順応性を問われるかのように、日々新たな情報が流れる。それは当然であろう。生あるものが永遠の命を有していないのと同様に、時を刻むエネルギーもなくなりはしない。それを自然の摂理として黙って受容することがもとめられているのであろう。

 

 2022年9月1日。すでに21世紀もいつのまにか22年目に入っているのである。平和を刻んできたはずの世界だが、ロシアのウクライナ侵攻という思いがけない(?)蛮行があり、しかも核兵器使用が取りざたされたり原子力発電所占拠による人類の危機が再び注目を集め始めた。というよりも、それに耳目を集めることで人類の危機を再燃させる機会をもたらした。いまだに核兵器は人類にとり、大いなるリスクであり、駆け引きの材料として存在していることを思い起こさせてくれた。

 

 その意味において、ロシアのウクライナ侵攻が早期の解決を困難にしている。NATO諸国がウクライナを支援すればするほど、ロシアはより強硬路線を取り、早期解決を困難にしていくのである。ロシアにとっては、緩衝地帯をしっかり維持することが、最大の安全なのである。ロシアのプーチンの思考を理解しようとしない限り、現在の国際社会が抱える課題を解決しえないのではなかろうか?