rugtaku’s diary

日々のニュースで疑問に感じたことを取り上げる

安倍晋三元首相の死は自民党がとことん利用する。

 安倍晋三元首相は、民主主義の殉教者のような扱いを受けて、国葬が行われる予定だが、その実犯行の動機は、母親が新興宗教に注ぎ込んだ献金に対する不満であり、家族の崩壊原因を作った要因に対する私怨であったことが判明している。しかし、当初報道されたような民主主義に対する暴力行動というイメージが定着してしまった。それを有効に利用すべく、自民党総裁岸田首相は国葬を執り行うことを決めた。とことん、安倍晋三元首相を政治的に利用するということらしい。

 

 民主主義の殉教者であれば、非難の的にはなりづらい。悲劇の英雄として祭り上げることすらできる。実効がほとんど上がらなかった(失業率が下がり、株価はあがったが、賃金は上がらなかったし、経済が活性化されることもなかった)アベノミクスを牽引した行政責任者であった。アメリカ追随外交により、対中国や対ロシアでも大きな溝を生まなかったことは鉱石であったかもしれないが、森友学園問題では疑惑を実証するどころか、もみ消した疑いが高かった。統一教会との関係も今回の狙撃事件解明が進むにつれて、明らかになってきた。

 

 統一教団幹部を狙うことをあきらめた山上容疑者が、教団と深い関係にあると認識した安倍晋三元首相を狙撃した事実をどう考えるか。これは単なる私怨ではないか。たまたま選挙応援演説の最中に行われただけで、民主主義に対する冒涜とは考えづらい。

 

 それを民主主義に対する挑戦のようにとらえてしまうと、まるで違った構図になってしまう。自民党関係者にとっては、民主主義に対する挑戦とするほうが都合が良いのであろうが、そのように国民に認識させようと仕向ける行為自体が民主主義に対する冒とくではないのか。

 

 与党自民党の思惑に乗せられる野党各党も情けない話ではある。参議院議員選挙投票日直前に起きた狙撃事件は、日本の民主主義(?)の一大転機となる出来事になるかもしれない。いや民主主義が日本に根付いてはいなかったことを示すものであったのかもしれない。日本国民としては、そう理解すべきなのかもしれない。